Y’s blog

届きますように、この言葉。

クリーム色

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フィクションを書くということ。

小学校高学年から、高校初期の私を語るにおいて、外せない人が、林柚希という人物なのではないかという妙な自負がある。
柚希は私と同い歳で私と同じ、人見知り。写真が好きで、読書も嗜む。はっきりと違うのは、彼女はそこそこ世渡り上手なことだろう。
こんな彼女だけれど、別に学校が1度たりと同じだったことはない。約5年間というこの長い間私にとってのキーパーソンであるにも関わらず、私の友達の大半はその名前すら聞いたことがないだろう。

知っている人はほんのひと握り。覚えているだろう人はさらに減ってひとりか、ふたりくらいだ。


なぜなら彼女は、もう一人の私であり、私の希望だからである。


こういう書き方をすると誤解を招いてよくないのだけど、これは何も“人格”の話なんかではない。


気づいたときから口下手で、声に感情を乗せることすらどうにも上手くいかない私は、小学生のころから文章にして書くほうが性に合っていた。そしてそれは、フィクションが見え隠れする方がずっと気乗りがした。どうやら私は10年ちかくも前からフィクション=非日常を追い求めていたらしい、とここにきて知ってなんだか可笑しくなったのだが、林柚希は、その見え隠れする“フィクション”に生きる人だった。
彼女はつまり、私がずいぶんむかしに心の中で作り上げたもう一つの世界との橋渡し役なのだ。


実際に見聞きしたこと、楽しかったこと、辛かったこと、そういった私が得た経験が、彼女の視点から語られることで現実と非現実がミックスされた、主観性と客観性が相まった世界が出来るのである。


非現実っていうのはある種のスパイスであって隠し味のことだ。少し混ぜるからこそいい味になる。
日記では書かずにおいてしまいそうなちょっとした情景描写や心情描写が、妙なリアル感を引き連れてくる。それ自体が“リアル”じゃないのに、だ。


林柚希という視点は、私にとって日常と非日常を好きな分量でブレンドする絶好のメジャースプーンなのである。