青
なぜ人は旅に行けと言うのか。
ぶっちゃけ、海外に行ったからって、何かが変わるとは思ってない。
本人が変わるつもりがない限り、人って変われないと思っているから。私自身がそう。いくら好きな国や場所に飛び出してみても、ただ単に旅行すること自体を楽しみたいときは、行く前と後で何か変わった、とは思わない。ただ、思い出が一つ増えただけ。海外なら出国スタンプと入国スタンプがおまけについてくるだけ。
え、じゃあなんで人に勧めるの?
私自身が、なぜ友達や出会う人に“旅”を勧めるのか、ちょっと考えてみることにした。
そもそも論として、私が旅と銘打って国内外問わずどこかへいくのが好きなのにはもちろん理由がある。
メディアを中心に人づてに見聞きした未だ見たことない世界を、自分の目で見たいから。
写真や、映像、言葉って全部私のすきなものだけど、リアルさを追求するとどうしても現実と食い違いが生まれてしまうものだと思っている。
なぜなら、それを自分の目で見て記録した人と全く同じ感性を持ち合わせている人がそうそういるわけないから。そして、なにしろ音も、においも、感触も、気温も、足りないものだらけだから。
そういうどうにも妥協できない意思があるので、私はどうにかこうにか行きたい場所を少しずつ“行った場所”にするべく飛び回ることにきめたのだ。
簡単に言うと、旅に出る=夢が叶う手段。
これはもう、夢を叶えられるんだもん、好きなだけ旅に出る。
というわけで、私の感覚としては好きなことを人に勧めているだけ。「このマンガ面白いよ、読んで。」と同じ。
マンガ(マンガに限らずこの際ドラマでも小説でも音楽でもなんでもいい)を他人に勧めたことがある人は分かると思うんだけど、人にそういった類のものを勧めるときは共感者がほしいとき。
同じ絶景見て、すごいねって言ったり、
トラブルに巻き込まれたりしても、こんなことあったね。生きててよかったね、と息がつけたり、
日本にはない味のご飯食べて、これ、すごいねって笑ったり、
欲しいんですよね。結局は。
同じタイミングに同じ場所に行かなくてもいい。
おすすめの場所の教えあいっこも楽しいし、
別々のタイミングで行って感動をシェアするのでもいい。
自分にとっての楽しみが、誰かと分かち合えるものになってほしい。
そんなわけで、今日もカメラ片手に目の前の世界を誰かに見てもらえるように歩き続けています。