桃源郷
なにか投稿するときに深く考えずにタグ付けしたり、ときにはそのタグを検索して自分の投稿を見つける人のことを想定してタグ付けしたり、人によって使い方はさまざまなんじゃないかと思う。
そんなハッシュタグで
というのがある。これは、撮影場所の雰囲気がそれとなく両者の作品に似ているか、撮った写真を編集して色味を似せた写真とともに添えられる。 もちろん他の作品や、著名人のタグもあるんだけれども圧倒的にこの2つは目を引く気がしている。
それは、わたしがちょっと意識して見ているからかもしれないけれど。
自分が見た世界を、ジブリの世界や、新海誠さんの作品の世界観に寄せること。
もちろんほかにも、ひとりひとりの目にはまた別の世界が広がっているはずで、つまりはそういった他の人の創り上げた世界と、自分の見た世界をリンクさせること、なのだけど、それにはこんな想いがあるんじゃないかと、漠然と考えたことがある。
彼らの世界は、桃源郷である。
少なくとも、私の中では。
ひとり、辿り着いたきり、誰も辿り着くことのない世界。
だからこそ、ほかの人々、そのたったひとりが見た光景以上のものが、そこにあると夢見てしまう。そこに行けたら、と必死に模索する。
どうしたって行けないのなら、行った気になるしかないのである。
自分が見るこの世界が、もし、その“桃源郷”だとしたら、どんな姿なのだろう。
青を鮮やかに、赤みは落として。
緑は黄色に寄せるのか、青に寄せるのか、はたまた暗く沈ませるのか。
たったひとりが描いた景色を思い返しながらああでもないこうでもないと、自分が見た景色に重ね合わせる。ただこれは、私の場合、他でもない“写真”という平面に等しい場所の上で、なのだけれど。 だけど、それがなんだって構わない。と思う。
どこか遠く離れた、現実に行けるかも定かではない土地に想いを馳せるのは、けして悪いことじゃない。 そんな憧れが今なにか行動するきっかけになったりもするのだから。
素敵なお写真は全て、私の敬愛する写真家 Iskaさんから許可を得て掲載させていただいたものです。
Iskaさん本人のSNSはこちらから。
Twitter: Iska (@Iska_TOSHIKAZU) | Twitter
クリーム色
フィクションを書くということ。
小学校高学年から、高校初期の私を語るにおいて、外せない人が、林柚希という人物なのではないかという妙な自負がある。
柚希は私と同い歳で私と同じ、人見知り。写真が好きで、読書も嗜む。はっきりと違うのは、彼女はそこそこ世渡り上手なことだろう。
こんな彼女だけれど、別に学校が1度たりと同じだったことはない。約5年間というこの長い間私にとってのキーパーソンであるにも関わらず、私の友達の大半はその名前すら聞いたことがないだろう。
知っている人はほんのひと握り。覚えているだろう人はさらに減ってひとりか、ふたりくらいだ。
なぜなら彼女は、もう一人の私であり、私の希望だからである。
こういう書き方をすると誤解を招いてよくないのだけど、これは何も“人格”の話なんかではない。
気づいたときから口下手で、声に感情を乗せることすらどうにも上手くいかない私は、小学生のころから文章にして書くほうが性に合っていた。そしてそれは、フィクションが見え隠れする方がずっと気乗りがした。どうやら私は10年ちかくも前からフィクション=非日常を追い求めていたらしい、とここにきて知ってなんだか可笑しくなったのだが、林柚希は、その見え隠れする“フィクション”に生きる人だった。
彼女はつまり、私がずいぶんむかしに心の中で作り上げたもう一つの世界との橋渡し役なのだ。
実際に見聞きしたこと、楽しかったこと、辛かったこと、そういった私が得た経験が、彼女の視点から語られることで現実と非現実がミックスされた、主観性と客観性が相まった世界が出来るのである。
非現実っていうのはある種のスパイスであって隠し味のことだ。少し混ぜるからこそいい味になる。
日記では書かずにおいてしまいそうなちょっとした情景描写や心情描写が、妙なリアル感を引き連れてくる。それ自体が“リアル”じゃないのに、だ。
林柚希という視点は、私にとって日常と非日常を好きな分量でブレンドする絶好のメジャースプーンなのである。
तीन tīn - 魔法の言葉にかかりたくて。-
🌈
3/2のニューデリーは、前日とは違う空気感をまとっていた。すれ違うインド人はどこか楽しげで、にこやかである。元々のびのびとした気質だろうにいつも以上に彼らのあるがままのペースでこの日を生きている。そして何よりも目立って違うことが一つ。その手には赤、緑、黄と言った眩しいほど鮮やかな彩りの粉が入った小さな袋。にっと笑う口からは歌うような「ハッピーホーリー」というひとことが弾ける。
そう、私はこのためにここに来たのである。
昨年、いつものようにぼんやり眺めていたSNSを唐突にジャックしたのは人種どころか服と肌の境界線、いやもはや目と鼻がどこにあるか分からない程に全身が色粉まみれで、今にも笑い声が聞こえそうなほど開いた口から見えるむき出しの歯だけが白く光っている人々の写真だった。
なんだこれ、楽しそう。
しかし、その当初の私はようやくバックパックを背負い始めたばかりで、インドなんかとても行ける自信がなかった。
来年。来年は絶対行く。
そう決め込むなり翌年のホーリー祭の期間を調べスケジュール帳に書き加え、見事に達成させることが出来たのである。
私は直前までどこの地域で、誰と参加するか全く決めずにいたのだけれども、タビイクの人たち
(タビイクっていうのは一人旅したいけど不安な人のための企画です!え、なんぞやって人のためのお話はこちら☞ http://observer-star8.hatenablog.com/entry/2017/11/27/194710 )
のすごいところは、気づいたらインド合流で色粉片手に街を歩いているところである。
何も考えていなかったにも関わらず男女計5人で参戦することが決定した。
実はこのお祭り、世界1クレイジーな祭りとも言われていて、そう呼ばれるだけあっていろいろとえげつない。
過去参戦者からは
女1人で行っちゃいけない。
だとか、リキシャーのおっちゃんには
移動中はスマホ出すな。なんたって今はホーリーだからね☆
と脅され続けていた。
つまり、ハッピーホーリーというのは紛いもなく魔法の言葉だった。この言葉一つで全てが合法化してしまうとんでもなくぶっ飛んだ祭日なのだ。
通りがかりの人に泥水かけても、臭い色スプレー噴射しても、痴漢してもホーリーだからね☆で済ませるこの祭りまじでどうかしてる。つまりはそれを分かった上で、よっしゃかかってこいや!ぐらいで行くと楽しめます。
※宿によっては参戦を禁止している場所もあるので是非ともこのクレイジーさを体感したいっていう人は事前に確認してください。
最初は粉ついた手で相手のほっぺに色つけて
ハッピーホーリー!へへへっ
みたいなふわふわしたやり取りが続いて、予想に反する優しげな雰囲気に拍子抜けしていたのだけど、市街地を歩くにつれて武器がガチ装備になってくる。
水鉄砲なんてかわいいもんで、バケツいっぱいの何入ってるかよく分からん色水だとか、あわあわのカラースプレーとか、うわ何あれー!とか言ってるうちに建物の屋上からも水風船やら水バケツやらが投下される。絶対今お前が投げたろって人はたまにいるけど、恨めしげに見たところで
何?どうしたの俺知らないよ?
みたいな顔で笑いかけてくるのみ。
誰がどこから奇襲かけてくるか分からないのが醍醐味。
特に子どもたちは容赦ない。
集団で走ってきて散々にしてくるのはだいたい子ども。年に1度のこのはちゃめちゃを楽しみすぎてる。いいことだけど目と口によく分からんスプレーかけんのやめろ。
でもなんだか許しちゃう。かわいいし、楽しいし、こんなお祭り早々ないから。
昼には切り上げて街に平常が戻り始めるのだけど、昼までで正解だよインド人。
何せいくら楽しいとはいえ太陽がちょうどてっぺんに昇る頃には疲れ始めてもうかけてくんなって思い始めてくる。
昼を過ぎても、もちろん遊び足りない無邪気なこどもたちや青年はちょこちょこいて、いつも通りの生活に戻り始めた人たちに呆れたような苦笑いを向けられているし、頭の色まっピンクなおじちゃんはあまりそのことは気にせずに自転車を漕いでいたりもする。
なんて日だ!
素敵な1日をありがとうインド。
そして、いっしょに祭に参加した、最高な仲間達へ。
👳
दो do - インド人からのミッション -
何とか無事にインドに辿り着けた私が、空港からそのまま向かったのは、電車で数駅先のニューデリー。インドの首都である。
エアポートメトロだったためか日本の電車以上に綺麗で快適な電車移動で目的地の駅に着いてしまった私は安直にもこう思ってしまった。
あれ、意外と行けるかも???
気さくに話しかけてくるインド人を笑顔で切り抜けつつ、駅の職員に聞いた方へと歩いていると、ゲートのようなところに立つインド人に
「この先を通るには×××パスが必要だよ、ないなら〇〇〇まで行って取ってこなきゃ。」
と言われた。
なんだそれ。
と思いつつオートリキシャー(トゥクトゥクとほぼ同じ。)の人に案内され、20ルピー(日本円で30円程度)支払い乗り込むことになった。
連れてこられたのは小綺麗なオフィス。
デスクがひとつと、向かいにまた新たなインド人。
「私はあなたを全力でお助けしますよ。」
とにこやかに言われたものの、そのあとに続けられた台詞は全然笑えない。
「デリーは今お祭りの影響で発生したデモの影響でどこも宿は閉まっている。泊まるならこの辺だと近くてアグラかジャイプルしかないよ。」
は?????
お祭りっていうのはホーリーのことだろうとしても、予約取ったのに泊まれないなんてことある?
嘘だあ!
と喚いていたら、デモの様子の写真を見せられ話をされた後に
泊まる宿の名前を教えろ。
と言われ、確認したあとに予約していた宿と思しき相手と繋いでもらった。期待とは裏腹に見事に空いてないですの一点張り。
まじか、今からアグラか。
アグラは何せタージマハルがあるので、インドに来たからには行きたい場所だけれどもこんな形で行くことになるのはちょいと違う。何せ友達と取った宿だし、そもそもアグラまで、と提案されたプランに必要な料金が馬鹿高い。日本円で3万5千円程度。そもそもそんな金が(インド初日にして)手持ちになかったのである。
本当にこんな金かかるの?もっと安いルートあんだろ?
とごねると、次に繋がれたのはインドで有名な日本人宿“サンタナ”のスタッフを名乗る日本語流暢なインド人。
もっと安いバスにしろ電車にしろ何かしらあるよね?!
と言ったらこのインド人も抜け抜けと、
「んー、ナイデスネー。」
の一点張り。しかもあっさり電話切る。
ええええ、まじか。
まじで?
時計を見たらもう外は暗い時間なのが分かったし、とりあえずどうしたらいいか分からないし、アグラに行くしかないのかと思い始めるが、
しかし金がない。
まずインドルピー自体、街で換金するつもり(どこもそうだけど空港は基本レートが悪い)だったので日本円で500円もない。
「日本円はあるだろ!?」
って言われたけどそもそも日本円も2万弱しかない。(けど払いたくないから嘘ついて1万円しかないと言い張った。)
「他のお金は?」
って聞かれてしぶしぶ出したのはタイバーツ。
しかも日本円にして3,000円程度。
「これじゃなんにもできないよ!」
インド人ちょっと苦笑い。知らねえよ、タイでは生きてけるんだこれで。(大嘘)
「……じゃあカードはあるよね?」
と言われてわりとすんなりカード出すけど、私、自分のクレジットカードのピンコードを知らない。(真剣)
インド人もびっくり。
あんた、今までどうやってこのカード使ってきたの?
ってめっちゃ聞かれる。
そう、インドはセキュリティの問題でピンコードを入力しないとカードが使えないのである。
署名ひとつで切り抜けてきた私、ここで命拾い。
なぜ、命拾いなのか。
私はこの後、もうここ閉めるからとツアリストインフォメーションを追い出されることになるのだが、その下にはさっきと違うリキシャーのお兄さんがいた。
「泊まるって言ってた宿の前まで一応送ってあげるよ、一応ね。」
みたいなことを言ってくれた。
「ほんとに???」
もうちょっぴりインド人に対して何をどう信じていいのか分からない私はとりあえず目の前に現れたこのインド人を信じる賭けに出た。
宿が空いてなくたって、同じ部屋に泊まる約束をしていた友達に会えたらこの時の私には万事解決だったのだ。
途中おじいちゃん運転手のリキシャーに乗せられかけたけど、
私はあなたを信じたい。
とひとこと告げると宿泊予定だった宿まで本当に連れていってくれた。
しかも、リキシャーを降りると宿はあいていて、ちょうど私が宿についたかどうかを確認しに部屋から出てきていた友達と合流することもできた。日本人に会えたってこと、宿につけたってこと、最後の最後にインド人は優しかったっていう安堵感が凄すぎて、一人泣きそうになった。しかしよくよく落ち着いて考えさせてほしい。
宿あいてるやないか!!!!!
そう、ここに来てようやく私はさっきのアグラ行けとか軽々と言ってのけたインド人のおっちゃんがでたらめ言ってたことを確信したのである。
遅すぎか。
しかもこれ、インドでは初歩的な詐欺の常套手段なんだとか。何も知らずに飛び込みすぎた。インドは深い。軽い気持ちで来て、どっぷり溺れそうな国。
しかしこの時の私はまだ知りませんでした。
インドの洗礼はこれだけじゃないってことを。
さらなる洗礼はまたこんど👋
🙏
एक ek - インド入国トライアル -
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街ゆく人々がカラフルになる奇祭ホーリー祭なる祭りに参加したいと思ってから早1年。私は生まれて初めてインドに降り立つことに成功した。しかしその降り立ち方はなんとも不格好で、私はスタートダッシュの時点でつまずくことになる。
どういうことか。
日本人は最強なパスポートを持っているので、インドにはなんとアライバルビザというその場しのぎの武器一つで軽々立ち向かうことが出来るのだが、そのチートさに少なからず、いやだいぶインドという強者を甘く見ていた。
なんとこのアライバルビザ、インドに数ある空港のうちたったの6ヶ所(バンガロール、チェンナイ、デリー、ハイデラバード、コルカタ、ムンバイ)でしか通用しないのだ。
クアラルンプール空港にて、最初に空港の職員に「おめえビザ取ってないの?じゃあインドには行けないよ。」って言われたときは「いやアライバルビザ取ろうと思ってるんだけど?」ってちょっと余裕ありげに返したんだけど、どっから湧いてきたんだその余裕。不安になって調べたら、最終到着地はアライバルビザ適用内のコルカタだったけど、その間にトランジットで全然聞いたことないブワネシュワールっていう名の空港がしれっと立ちはだかっていた。
この時点で私はインドに負けている。悔しい。
泣く泣くクアラルンプールからブワネシュワールまでの航空券と、ブワネシュワールからコルカタまでの航空券の2つを破り、新たにクアラルンプール-スワンナプームとスワンナプーム-デリーの2枚の航空券を購入することになった。
それもこれも日本にいる間にビザをとっておけばしなかった苦労である。思い立ったが吉日、気づいたらインドに来ていたという人以外は日本にいる間にビザを取ることをおすすめしたい。いや、本来ならちゃんと確認しておくべきだったのか。
問題のアライバルビザ自体は書類提出程度+ビザ代支払い程度で手に入れることができ、分からないことがあっても入国審査官にこれは何?って聞けば教えてくれるので特別難しいことはなかった。
何ならアライバルビザでインド入国を目論む人は日本人ばかりなので何かあれば周りの人に助けを求められる環境がある。
こういうわけで航空券を破った以外はすんなりとインドに入ることが出来た私は、インドの雑踏の中へとバックパックひとつで踏み込んでいくわけなのですが……。
魅惑のインドは誘惑とハプニングの宝庫でした。
詳しくは次回の更新へ続きます⏩
🇮🇳
青
なぜ人は旅に行けと言うのか。
ぶっちゃけ、海外に行ったからって、何かが変わるとは思ってない。
本人が変わるつもりがない限り、人って変われないと思っているから。私自身がそう。いくら好きな国や場所に飛び出してみても、ただ単に旅行すること自体を楽しみたいときは、行く前と後で何か変わった、とは思わない。ただ、思い出が一つ増えただけ。海外なら出国スタンプと入国スタンプがおまけについてくるだけ。
え、じゃあなんで人に勧めるの?
私自身が、なぜ友達や出会う人に“旅”を勧めるのか、ちょっと考えてみることにした。
そもそも論として、私が旅と銘打って国内外問わずどこかへいくのが好きなのにはもちろん理由がある。
メディアを中心に人づてに見聞きした未だ見たことない世界を、自分の目で見たいから。
写真や、映像、言葉って全部私のすきなものだけど、リアルさを追求するとどうしても現実と食い違いが生まれてしまうものだと思っている。
なぜなら、それを自分の目で見て記録した人と全く同じ感性を持ち合わせている人がそうそういるわけないから。そして、なにしろ音も、においも、感触も、気温も、足りないものだらけだから。
そういうどうにも妥協できない意思があるので、私はどうにかこうにか行きたい場所を少しずつ“行った場所”にするべく飛び回ることにきめたのだ。
簡単に言うと、旅に出る=夢が叶う手段。
これはもう、夢を叶えられるんだもん、好きなだけ旅に出る。
というわけで、私の感覚としては好きなことを人に勧めているだけ。「このマンガ面白いよ、読んで。」と同じ。
マンガ(マンガに限らずこの際ドラマでも小説でも音楽でもなんでもいい)を他人に勧めたことがある人は分かると思うんだけど、人にそういった類のものを勧めるときは共感者がほしいとき。
同じ絶景見て、すごいねって言ったり、
トラブルに巻き込まれたりしても、こんなことあったね。生きててよかったね、と息がつけたり、
日本にはない味のご飯食べて、これ、すごいねって笑ったり、
欲しいんですよね。結局は。
同じタイミングに同じ場所に行かなくてもいい。
おすすめの場所の教えあいっこも楽しいし、
別々のタイミングで行って感動をシェアするのでもいい。
自分にとっての楽しみが、誰かと分かち合えるものになってほしい。
そんなわけで、今日もカメラ片手に目の前の世界を誰かに見てもらえるように歩き続けています。
HI
📖
それは、ある種の悪夢だと思った。
いや、そもそもは全然悪い話でもなかった。
なんてったって恋愛成就のパワースポットを探し当てて、そこで写真を撮ってくるなんてミッション、楽しそうだとしか思わないから。
場所自体にたいして何かあるわけではなく、そこへ行って上を見上げると空がハート型に切り取られているんだとか。
ロマンチックだなあっていうのが率直な感想だった。
だけど、誰が、ヒッチハイクで、しかも、しかも……。
「なあってば!お前、本当にヒッチハイクとかしたことねえの?えー、まじで?」
「うるっさいなあ、声でかい!ないよ、そんなの。」
いや、本当にどうしてこの男と?
ついこないだ、そう、まさにこの弾丸ヒッチハイクが決定したその日に初めて会った素性のよく知れない同い年の青年といきなり今まで単語としてしか知らなかったヒッチハイクをすることになったのか。
それは、たったの一週間前遡る。
そもそも私たちの繋がりは、大学のゼミだ。
もはやそれだけ。
たまたま同じ時期に、同じゼミを取っただけ。
それも、始まって1発目がこれ。
自己紹介もそこそこに、いきなりホワイトボードに苗字が羅列されて、ペアを作らされたのだ。自己紹介で終わりかと思えば、その後の先生の開口一番がこうだ。
「じゃあ、来週の今日今自己紹介した人とヒッチハイクしてもらうから。」
は?いやいやいや、どっかの企業の新人研修かよ。しかも何、スケジュールが急なんだって。いくらゼミの時間使うったって、この使い方は有りなのか?いや、絶対来ない人続出でしょ。
そうは思っているけれど、未知の状況すぎて楽しんでいる自分がいるのもまた事実だった。
「塚田くんだっけ、したことあるの?」
しかめっ面を直せないままにそう聞くと、待ってましたと言わんばかりの返答が返ってきた。
「俺?俺はある!!一回だけだけど。横浜から、大阪まで!」
へー、そうなんだ。
「じゃあ、任せていいってことだよね!」
あえてのありったけの笑顔。
「そうなる?!」
塚田はおどけてみせたけど、ちょっと嬉しそうだ。
出会って二回目にして私は多分塚田くんの扱い方が分かり始めている。
いや、でも、どうなっちゃうんだこの展開。
📖
このアルファベットは何なのかっていう全てのはじまりはこちらから。☟☟☟
http://observer-star8.hatenablog.com/entry/2017/11/30/200611
あなたをひとつのおはなしにします。☟
https://twitter.com/Lilja819/status/901791690415005696